二時ごろの言い訳

水商売や恋愛のことをしゃべります。

【雑記】満たされたい

【好きなもの・こと】よりも【嫌いなもの・こと】に目が行き、毎日何時間もイライラしています。

 

ラジオを聴けば「このDJの相槌がうざい」「話にまったく深みがない」「この放送作家、前に出てき過ぎ」。

 

ネットを見れば「夫婦の惚気イラストはまだマシやけどカップルの惚気とかアホくさ。別れたらどうすんねん」「妊活のためにセックスしろと夫にキレた? そらやってもらえんやろアホ」「なんでブスが踊ってんねん」。

 

テレビは野球中継しかほぼ見ません。コメンテーターや事件そのものにひどくイラつき悲しみ感情がおかしくなるからです。

 

とにかく、日々文句しか出てきません。

 

では、テレビを見ないようにしたのと同じように、好きなラジオだけ聴けば? 好きなアカウントだけ見れば?。

まあ、それはごもっともなんですが、実際問題そういうわけにもいかないのと、今回の問題はそこではないのです。

 

普通の人は「嫌い」がそこまで気にならないのではないのですか? ということです。

 

そもそも好きとはなにかわからないので好きについて深く掘り下げるのはやめますが。

普通の人は好きなものにぐぐっと引き込まれ、それ以外はとくに気に留めないのではないですか? どうしてわたしはこんなに嫌いなものに目が、耳が、引き寄せられていってしまうのでしょうか?

 

だいたいの「嫌い」は、「嫉妬」であるとは自覚しています。

 

でも、それにしても、こんなに嫌いという感情に支配されているのは、生きづらすぎる!

 

とにかく「好き」を増やしたいのですが、好きがわからない! 好きということはとてもハードルが高いもののように思えます。

 

わたしは部屋のインテリアや、自分の服装にそこそここだわりがありますが、

それですら本当に好きなもの・欲しいものはよくわかりません。でも、これだけは嫌だ! というものははっきりしています。

 

なんとなくですが思い当たる節はあります。

わたしは小学生の頃習いごとを決めるときも、好きな色を問われたときも、

 

「こう答えたらお母さんがよろこぶ」

 

と思って、答えを用意していました。そのツケですかね?

 

嫌いが曲げられないし、人がもしそれを好きだと言ったら認められないので、

人付き合いにおいても嫌いなもので繋がろうとします。

現に、恋人にはアンチ読売巨人軍の人を選びました。

 

せめて、友人が、わたしの嫌いなものを好きだと言ったときくらい、認められるようになりたいです。それもいいね、と言えるようになりたいです。

 

なぜ嫌いを主張してしまうのでしょうか? なぜ嫌いと主張することで人と繋がれると思っているのでしょうか? いったいどうしてこうなったのでしょうか? なにをすれば嫌いが気にならなくなりますか?

 

いちどでいいから(いや、そのいちどがやって来たら永遠に続いてほしいですが)、好きなもので満たされたいです。

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